健康のために「添加物を控えよう」と意識するのは悪いことではありません。
でも、あの頃の私は「控える」ではなく「排除する」ような極端な思考になっていました。
スーパーで食品を手に取るたびに原材料表示をくまなくチェックし、「これはダメ」「これもダメ」と戻す日々。
そのうち、外食も怖くなって、友人とのランチすら気が重くなっていきました。
最初のうちは、“体に良いことをしている”という満足感がありました。
でも、だんだん心が疲れていくのを感じました。
いくら添加物のない生活をしていても、思うように痩せなかったし、なぜか顔色も冴えない。
むしろ、気持ちはどんどん暗くなり、思考もどこか硬くなっていったのです。
「正しさ」に縛られると、心が不自由になる
今思えば、あの頃の私は“正しさ”に縛られていました。
「自然なものこそ正義」「添加物は悪」——そんな白黒の考え方に、自分自身が苦しめられていたのです。
自分のこだわりが強くなりすぎて、性格もどんどん頑固に。
食事だけでなく、人の考え方にも敏感になり、他人を受け入れづらくなっていました。
「こうでなきゃいけない」と思い込むほど、心の余裕はどんどんなくなっていきました。
健康のために始めたはずの習慣が、いつの間にか私の“心の健康”を削っていたのかもしれません。
ゆるめたら、心も体も軽くなった
転機は、ふと「もう疲れたな」と感じた日。
その日を境に、私は“完璧主義の食生活”を手放すことにしました。
少しずつ、「食べたい」と思うものを食べるようにしたのです。
最初は少し怖かったけれど、不思議と体調は悪くならなかった。
むしろ、顔色が明るくなって、気持ちまで軽やかになっていきました。
便秘も減り、肌の調子も良くなり、なにより「食べる」ことを楽しめるようになったのです。
あの頃の私は、食事を「管理するもの」としか見ていなかったけれど、
今は「食べることは生きること」と感じています。
それは、体を作るだけでなく、心をやさしく包んでくれる行為だと気づきました。
添加物より怖いのは、「気にしすぎる」ことかもしれない
もちろん、添加物をまったく気にしない生活をすすめたいわけではありません。
でも、“過敏になりすぎること”こそ、心を壊す原因になりかねません。
人は食べ物だけで生きているわけではなく、「誰かと笑いながら食べる時間」や「美味しいと感じる瞬間」も、心の栄養だからです。
私は、今では何でも食べます。
お菓子もパンもカフェラテも好きです。
だけど、不思議と体調は良い。顔色も良くなった。
きっと、それは“心が自由になったから”なんだと思います。
健康とは、「制限」ではなく「調和」。
体と心、どちらも整えてこそ、本当の意味で“バランスが取れた生き方”ができるのだと、今では感じています。



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