「食べること」が怖かった時期があります。
思春期の私は、周りの女の子たちが「ダイエットしてる」と話すのを聞いて、自分も細くなりたいと思いました。
中学生のころ、母子家庭で、いつもご飯を作ってくれていたのはおばあちゃん。優しくて、いつも台所に立っていたその背中を、今でも鮮明に覚えています。
けれど、あの頃の私は“痩せること”しか考えられませんでした。
朝は具なしの味噌汁1杯。お昼は給食があっても牛乳しか飲めず、夕飯も味噌汁と3口ほどのご飯で終わり。
今思えば、どうして生きていられたのか不思議なくらいの摂取量でした。
おばあちゃんは、そんな私を心配して、少しでも食べられるものを探してくれていました。
「これなら食べられる?」
「好きだったじゃない?」
そう言っては、いろんな食材を買ってきてくれました。
それでも私は首を横に振るばかり。
今でも、あの時のおばあちゃんの表情を思い出すと胸が痛くなります。
食卓には家族のために作られた温かい料理が並んでいたのに、私はそれを前にして箸を持てませんでした。
本当は、おばあちゃんと一緒にご飯を食べる時間こそが、一番大切だったのに。
「食べる」ということは、栄養を摂るだけでなく、“心をつなぐ行為”だったんです。
そのことに気づいたのは、ずっと後になってから。
おばあちゃんの手料理をもう一度食べたい。
そう思っても、もう叶わない。
「食べておけばよかった」「一緒に笑ってご飯を食べたかった」
その後悔は、今でも心の奥に残っています。
私は幼いころから食事とうまく付き合えませんでした。
幼稚園では肥満児検査に引っかかり、小学生の頃もぽっちゃり体型。
自分の体型が嫌いで、痩せることばかりを考えていた私にとって、食事は“敵”でした。
でも今なら分かります。
誰かと食卓を囲めることこそが、どれほど尊いことか。
家族で「おいしいね」と笑い合える時間が、どれだけ幸せなことか。
あの時、私は“食べる幸せ”を手放してしまったんです。
食事制限やダイエットは、目的を見失うと心をも蝕みます。
健康的に痩せることと、食を拒むことはまったく違う。
本来の「食べることの喜び」を忘れないでほしい——
これが、過去の私から今のあなたへ伝えたいメッセージです。
もし今、ダイエットで食事を制限している人がいたら、
どうか思い出してください。
食卓の向こうには、あなたを想って料理を作ってくれる人がいることを。
一緒に食べてくれる人がいることを。
“食べること”は、自分を大切にすること。
そして、誰かと心を分かち合うこと。
食べられなかったあの時間を後悔しているからこそ、
今こうして食事を楽しく、美味しく食べられることが
決して当たり前ではないのだと気づきました。




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