私は長い間、食べることを恐れていました。
拒食症の頃は、食べる量を極端に制限し、体重や見た目ばかりに囚われていました。
その苦しみを乗り越え、少しずつ食べ物を口にできるようになったとき、別の波がやってきました。それは「過食」と「過食嘔吐」の始まりです。
少しずつ食べるようになると、どの味も濃く感じ、ひと口ひと口が体の隅々まで染み渡るように思えました。
その感覚は不快で、気持ち悪く、「太るかもしれない」と頭の中で警告が鳴ります。
それでも生きるためには食べるしかない。葛藤の毎日が続きました。
過食の恐怖と生理の回復
ある一定の食事量に戻ったとき、心の歯車が狂いはじめました。
壊れたように食べ物を口にする自分。止められない自分。
考えられない量を食べ、後悔する。
そして、それを繰り返す日々が始まったのです。過食と過食嘔吐の、壮絶な日々。
食欲が一時的に落ち着く日もありました。
でも、定期的にやってくる食欲の波。
女性の体にはリズムがあり、私の場合、拒食が続いたことで3年ほど生理が止まっていました。
少しずつ食べ始めると、体は自然に生理を起こそうとしました。それは健康を取り戻す自然な反応です。
しかし、私はその変化を恐れました。
「太ることが怖い」——ただその一心で、体が求める栄養を受け入れることができませんでした。
太ったら馬鹿にされる。
太ったら嫌われる。
太ったら愛してもらえない。
ノートに書いた小さな目標
そんな恐怖の中、私はノートに小さな目標を書きました。
「今度はパンを食べてみよう。」
「次はお米を茶碗半分は食べてみたい。」
書くことで自分を励まそうとしましたが、実際に実行できる日はほとんどありませんでした。
食べ物が並ぶ店に入ることすら怖く、買ってしまったら食べてしまう——そんな恐怖に毎日支配されていました。
立ちくらみやめまいの日々
気づけば、拒食の頃よりさらに痩せ、立ちくらみやめまいでベッドの上でただ時間が過ぎるのを待つ日々。
体は栄養不足で弱り、心は自分を責め続けました。
そんな中、少しずつ抜け出せたのは、社会人になり、人との関わりが始まった頃です。
誰かと関わることが、心を外の世界に向けるきっかけになったのです。
失敗の中で自然に学んだ食事の取り方
克服の経緯を細かく覚えているわけではありません。
ただ、何度も失敗しては立ち上がり、同じような困難を繰り返しました。
トイレが詰まってしまったり、立ちくらみでお風呂場で倒れそうになったこともあります。
そんな出来事も、今思えば、体と心が教えてくれた小さな学びの一つ一つでした。
気づけば、自然と自分なりの食事の取り方を覚え、体に必要な栄養を無理なく取り入れられるようになっていました。
特別な方法や完璧なルールはありません。
ただ、失敗しても諦めず、体と心の声に少しずつ耳を傾けることが、回復への道につながったのだと思います。
回復への一歩
振り返ると、拒食から過食への道は一見遠回りに見えます。
でも、すべては体と心が回復しようとする自然なプロセスでした。
あの頃の自分は、太ることや食べることへの恐怖に押し潰され、体の声に耳を傾けることができませんでした。
それでも、少しずつ前に進み、人とのつながりや日々の生活を通して、回復への一歩を踏み出すことができました。
過食の話はまだまだ書ききれないほど深く、複雑なものでした。
でも、ここまで書くことで、同じように悩む人に少しでも「自分だけじゃない」と思ってもらえたら、それだけで意味がある気がします。



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